昨日は昭和の日でした。
昭和天皇のことで私がリアルに思い出すのは、崩御されたときのこと。当時私は中学生で、昭和64年1月に、習っていたピアノの発表会があったのだった。お隠れになった前だか後だか覚えてないのだけど、母親が、こういう時だから制服にしなさいと、用意していたワンピースではなく制服で演奏させた。私はそういうもんか、と思い素直に従ったけど、当日は結構普通にみんなドレスを着ていた。ちょっと恥ずかしかった。
私の両親は同世代と比べるとちょっと年いってた戦中派だったので、他の保護者と比べても現人神の印象が強かったのかもしれない。家庭でも、あまり大っぴらに天皇の話をするのは御法度だった。そんな話をしようものなら、右翼の街宣車が飛んでくるんじゃないかと思って、ビクビクしたのも覚えている。なんだったんだ、あれ。今こんなブログを書いてることを両親が知ったら、卒倒するだろうな。
何が言いたいかというと、昭和天皇の存在感たるや、当時子どもの私にとっても圧倒的だったのだ。ところが今上天皇が即位された後、両親が今上について何か言うのを聞いたことがない。だから私は彼の評判をリアルに知らない。家のことに限って言えば、平成になって、急速に両親は皇室に対する興味を失い、皇室の存在感は薄れたのだ。
でも、仕方ないよね。あらゆる意味で、違いすぎるもの。今、昭和天皇実録が販売されてるけど、平成にそんなものは出るだろうか。出たとしても、なんだか薄っぺらいものになりそうな予感。
世襲でやっていく以上、賢帝もいれば愚帝もいるだろう。私は、皇室のことを知れば知るほど、今上のことはしょうもないなあと思っている。存在感云々については、歴史的に気の毒な位置にいらっしゃる手前仕方ないと思うが、それ以前に、天皇家の長としてどうよ、もっといえば、人としてどうよ、と思うことすらある。でもそれも長い目でみれば、まあ、そういう人が天皇になることもあるさ、ということ。彼がダメだから天皇制はダメとはならない。天皇制に対する考えと、天皇その人に対する考えは、分けなければいけないだろう。
結論。というわけでこれからも私は天皇その人に対する批判は続けます。ただそれは別に天皇制に対する不敬ではない。
そして尊敬できない人が天皇になるのは仕方ないけど、一国民の心情としてはなるべくやめてほしいので、次の次は皇太子さまのもとでスクスクお育ちの正統派、敬宮愛子さまにしてください!
昭和天皇のことで私がリアルに思い出すのは、崩御されたときのこと。当時私は中学生で、昭和64年1月に、習っていたピアノの発表会があったのだった。お隠れになった前だか後だか覚えてないのだけど、母親が、こういう時だから制服にしなさいと、用意していたワンピースではなく制服で演奏させた。私はそういうもんか、と思い素直に従ったけど、当日は結構普通にみんなドレスを着ていた。ちょっと恥ずかしかった。
私の両親は同世代と比べるとちょっと年いってた戦中派だったので、他の保護者と比べても現人神の印象が強かったのかもしれない。家庭でも、あまり大っぴらに天皇の話をするのは御法度だった。そんな話をしようものなら、右翼の街宣車が飛んでくるんじゃないかと思って、ビクビクしたのも覚えている。なんだったんだ、あれ。今こんなブログを書いてることを両親が知ったら、卒倒するだろうな。
何が言いたいかというと、昭和天皇の存在感たるや、当時子どもの私にとっても圧倒的だったのだ。ところが今上天皇が即位された後、両親が今上について何か言うのを聞いたことがない。だから私は彼の評判をリアルに知らない。家のことに限って言えば、平成になって、急速に両親は皇室に対する興味を失い、皇室の存在感は薄れたのだ。
でも、仕方ないよね。あらゆる意味で、違いすぎるもの。今、昭和天皇実録が販売されてるけど、平成にそんなものは出るだろうか。出たとしても、なんだか薄っぺらいものになりそうな予感。
世襲でやっていく以上、賢帝もいれば愚帝もいるだろう。私は、皇室のことを知れば知るほど、今上のことはしょうもないなあと思っている。存在感云々については、歴史的に気の毒な位置にいらっしゃる手前仕方ないと思うが、それ以前に、天皇家の長としてどうよ、もっといえば、人としてどうよ、と思うことすらある。でもそれも長い目でみれば、まあ、そういう人が天皇になることもあるさ、ということ。彼がダメだから天皇制はダメとはならない。天皇制に対する考えと、天皇その人に対する考えは、分けなければいけないだろう。
結論。というわけでこれからも私は天皇その人に対する批判は続けます。ただそれは別に天皇制に対する不敬ではない。
そして尊敬できない人が天皇になるのは仕方ないけど、一国民の心情としてはなるべくやめてほしいので、次の次は皇太子さまのもとでスクスクお育ちの正統派、敬宮愛子さまにしてください!